鳥取市湖山。
日本一大きな池、湖山池がある地域である。
池の周辺には季節ごとに色とりどりの花が咲き、ナチュラルガーデンや散策路などがあり地元の憩いの場所として親しまれている。
「私のパワースポットです。よく散歩に行きます」
そう伝えてくれたのは、大学で日本語教師をしながら、最近では自身の子育て奮闘記ともなるエッセイ本「ありがとう、あなたでいてくれて」を出版されたばかりの大島さんだ。
はきはきと話す姿が印象的。
今回、大島さんに日本語教師のことや本を出版するまでのことなどのお話を伺った。
日本語教師になりたい
大島さんは、中学校のころから剣道をしていた。
団体戦での県大会優勝、全国大会への出場を目指していたが叶わず、大島さんは高校では絶対インターハイに出たいと剣道部が強い高校へと進学した。
高校では念願の県大会優勝、インターハイに出場を果たした。
この剣道部にやって来たのが、フランス人女性の留学生だった。
大島さんは、彼女に片言の日本語で剣道を教えるなど交流をした。
これがとても楽しかったという。
高校3年のときの夏休みに、大島さんは故郷に帰った彼女を訪ねてフランスのパリへ飛んだ。
これが大島さんの初めての海外経験だ。
「それがもう楽しくて、新しい世界だったんです」
文化、国や人の違いを面白いと感じた大島さんは、もっと異文化を知りたい気持ちになった。
大島さんはそんな夢が叶えられる日本語教師という仕事をさっそく見つけた。
海外から来た人に日本語を教えることで、文化交流もできると考えたのだ。
叶えたい夢が決まり、大島さんは日本語教師になるための勉強ができる茨城の大学に入った。
専攻は日本語教育だ。
海外で教えられる経験も体験
大学時代はアルバイトをして、貯めたお金で世界中を旅した。
ユーレイルパスを使ってヨーロッパ周遊をして教会に泊まる経験や、アフリカのケニアに旅するなど楽しんだ。
剣道のつながりで縁があった鳥取大学の先生に、大学で日本語教師として働くのであれば修士号まで取らないといけないと言われ、大島さんは大学卒業後、大阪の大学院に進んだ。
進んだものの、大学院での研究には苦労がともない、大島さんは気分転換も兼ねて、1年間の休学をして南フランスに留学した。
ここで、自身が実際に海外に住み、外国語を教えられる経験が出来たのはとても良かったという。
帰国後、無事に1年で大学院を卒業。
このタイミングで、鳥取大学の国際交流センターの非常勤の日本語教師の募集があり、大島さんは念願の日本語教師としての仕事に就いた。
日本語教師としての仕事がスタート
教師生活はとても楽しく始まった。
授業をしながら、生徒である留学生たちとの異文化交流を楽しんだ。
「生徒たちが授業を楽しんでくれることや、日本語が上手になっていく過程がわかるのがすごく嬉しいし、やりがいもすごくあります」
教師生活は現在まで20年に及ぶが、一度も辞めたいと思ったことはないという。
授業では、ジェスチャーや写真などを使って言葉を伝えていく。
繰り返し状況を見せたり、意味が伝わるような設定を作ることで言葉を教えていく。
「どうやったら伝わるか考えるのが楽しいです」
なりたかったとはいえ、日本語教師は大島さんにとってぴったりの仕事だったといえる。
子育てブログが編集者の目にとまる
日本語教師という顔のほか、大島さんは3人のお子さんの母でもある。
子育ては、日本語教師の仕事のように楽しいばかりではなかった。
思い通りにいかないところを試行錯誤しながら乗り越えてきた。
大島さんと同じく、剣道をしていた息子さんが足を悪くしたのを何とかしたいとパパママトレーナーの講座を受講。
パパママトレーナー講座は、一般社団法人 キッズ&ジュニア スポーツコンディショニング協会が主催している。
”がんばるわが子に10分ケア”というキャッチフレーズで、スポーツをする子供の心と体のコンディションを整えるための知識や技術を教えてもらえる。
大島さんは、ここで学んだことを実践した内容などを記録のためにもブログに時々つづった。
このブログが、ギャラクシーブックスという出版社の編集者の目にとまった。
子育てについてのエッセイ本の執筆依頼が来たのだ。
ちょうど、2020年7月7日の七夕のことだった。
七夕だったことにも良い直感を得て、大島さんは初めてのことに半分ときめき、半分恐怖を感じながら引き受けた。
完璧ではなくてもまず書いてみよう
大島さんはもともと本を読むことが好きだったが、自分が書けるかどうかは未知だったという。
SNSで「本を書きます!」と宣言もし、自分自身を奮い立たせたものの、大島さんは依頼を受けてからその年の年末まで1行も文章を書くことが出来なかった。
構成はいろいろ考えたが、プレッシャーばかりが大きくなった。
自分が書いた本を一体誰が読んでくれるのだろうか。
期限は1年半。
気持ちだけは焦るなか、大島さんは年末、友人同士のクリスマス会に参加した。
ここで、たまたま隣に座っていた学生時代の先輩が「本の編集者になりたい」と大島さんに打ち明けてきたのだ。
大島さんが本を書こうとしている話をすると、すぐに意気投合し、原稿を書いたら先輩に見てもらえることになった。
大島さんにとって、願ってもない出来事だった。
文章をチェックしてもらえるという安心感を得られただけでなく、先輩のためにもなる。
これを機に、文章を書く決意ができ、翌年の1月1日から大島さんはさっそく文章を書き始めた。
書くことで自分の気持ちがわかった
執筆は、お気に入りのカフェで時間を決めて集中した。
1章書けたら、先輩に見てもらうというペースで、全5章分を1年弱かけて書き上げた。
途中、その時の気持ちを思い出して泣きながら書くこともあった。
行動していたときは、そこまで自分の気持ちを意識することがなかったのが、あらためて思い出して書き出すことで自分が感じていたことがわかり、その感情に癒やされた。
「自分とつながった感覚です」
今回の執筆では、あえて良いことばかりではなく、ネガティブと思えるようなことも書き出した。
そうすることで、自分の中にあるネガティブな部分も受け止められた。
「自分は大変だったな、よく頑張ったなということにも気づけました」
否定的な自分を許せたことで、フタをしていた自分を開放できた。
「執筆そのものが、私にとってすごく大きな経験になりました」
こうして、大島さんの初のエッセイ本「ありがとう、あなたでいてくれて」が完成し、出版された。
子育てを通して、大島さんが自分と向き合い、子供たちとの絆に気づいていく迫真の1冊になっている。
そんな大島さんにとって、子供は”私を導く名コーチ”だと語ってくれた。
子供と大人という立ち位置を越えて、人と人としてのコミュニケーションについての深い内容になっている。
これから
まずは、出来上がった本をお世話になった人たちに届けに行きたいと大島さん。
「感謝の気持ちを伝えたいです」
大島さんの本は、直接本人から買えるほか、Amazonでも購入できる。
本人から買う場合は、メッセージとサインを入れてもらえる。
インタビューを終えて
初めてお会いしたとき、大島さんはいつも前向き、積極的、頑張り屋という印象だった。
実際、そうなのだが、今回のインタビューと本を読ませてもらって、自分と深く向き合われてより一層輝きを増した大島さんの姿を感じた。
自分のありのままを受け入れることで、本来の自分として自信を持って生きて行ける実感を手にされている。
大島さんは、この本を子育て中のお母さんたちはもちろん、人生に悩んでいる人たちにも広く読んで欲しいと言っている。
ぜひ、ピンと来た方は手にとってみて欲しい。
多くの人に大切な何かを気づかせてくれる一冊になるだろう。