真っ青な海のようなワンピースで現れた則定さん。
その可憐な感じとは裏腹に、彼女は海にもぐる海女さんでもある。
7年前に、海が好きで奈良から鳥取に移住。
岩美町の地域おこし協力隊となり、網代地区の魅力を発信した。
一方、漁師さんとのつながりから、則定さん自身も漁師となり、潜りの時期には海に入って海藻や貝をとる。
未利用品に付加価値をつけることをベースに、商品開発も行い販売もする。
2022年9月には古民家をリノベーションし、「つきのわ」を友人と運営し、ワークショップやイベントなどを開催。
今回は、そんな躍進中の則定さんの活動についての物語である。
海が大好きで鳥取の海にピンと来た
もともと、自然が好きで、海や山へはよく出かけていた。
かつては、ワーキングホリデーでオーストラリアへ1年間滞在。
農場を転々としながら、いろいろなところで農作業をさせてもらった。
一方で、日本にももっといいところがあるはずではないか、自分は日本のことをあまり知らないと気づき、オーストラリアから帰国後、日本のあちこちへ行くようになった。そのうちに、旅だけでは表面的なことしかわからないため、実際にその土地に住みたいと思うようになる。
そこで出会ったのが、岩美の海だった。
岩美の海の写真を見て直感で移住を決めた。
移住前に、岩美町で移住体験会があり参加を希望。初めは人気で空席がなかったが、直前でキャンセルが出たため、幸運にも参加できることとなった。体験会は1泊2日だったが連泊し、その流れで役場の面接を受け、またたくまに地域おこし協力隊として岩美町に移住した。
運命的な流れを感じる。
未利用品に付加価値をつける
則定さんは、地域おこし協力隊の先輩が立ち上げたシェアハウスに住みながら、活動をスタートした。
まずは住むことが目的で、何をするかは決めていなかったという。
岩美の網代地区の魅力発信と生業づくりをテーマに、1年目は地域のことを学ぶことが中心になった。漁業協同組合に席があったこともあり、漁業の勉強を中心に地域に根ざした活動をした。制約はそこまでなく、自由にいろいろなことをすることができた。
2年目は、商品開発に取り組んだ。アオサやアカモクなどの未利用品に付加価値をつける加工品づくりだ。あじろカフェなだばたの立ち上げもした。あじろカフェは、港にある地域の女性たちがメインで働くカフェである。いつも新鮮な魚や地元ならではの料理が食べられる。
3年目は、「うみのもり」を立ち上げ、海産物を中心とした加工品の販売を本格的にスタート。
そうしたなか、引退する漁師がいて、則定さんは船を譲り受けた。
船舶免許を取りに行き、則定さんは漁師になった。それまでお願いしないといけなかった海藻も、今度は自分で取ることができるようになった。
海のことをもっと知りたいから漁師になった
漁師といっても、漁の時期は決まっている。もぐれる時期は6〜8月の3ヶ月だ。海藻の旬は春で、表面に生えているものをとる。この時期は加工で忙しく、アルバイトを雇って作業をする。
自然相手の難しく、厳しい仕事だ。そんなとき、則定さんは「ただ海が好きで、海のことをもっと知りたい」から漁師になったことを思い出した。初心を思い出して、とても気持ちが楽になったという。
漁師をするようになって、海のことを知れば知るほど、海の問題点が大きいことがわかった。この3〜4年でも海の状況がかなり変わってきたという。
海水温も上がってきている。
人間がしてきたことの結果だと思うと、海で起こっている問題は、私達の生活と直結している。
海の仕事をしながら、則定さんはリアルにそれを実感した。
自然との共存を考え、畑で野菜づくりも始めた。海と森の繋がりを感じ、実際に森に入って、クロモジ茶の製造販売もはじめた。
「みんなが見向きもしないものに価値を付けたい」という則定さんの思いがここにも表れている。
「たぶん、一生勉強しないといけないんですけど、学んでいくことが大事だと思っています」
季節のめぐりを意識して、みんなで集まれる場所「つきのわ」オープン
移住して落ち着いてきたころ、則定さんの友人が岩美町へ移住してくることになった。
則定さんが畑に行くときに気になっていたという民家を縁あって、借りることができた。民家は友人知人たちみんなでリノベーションして生まれ変わった。住まいとしてだけでなく、月にときどきみんなで集まれる「つきのわ」として誕生。
「みんなのやりたいが叶う場所」を作りたかったという。
インドでヨガを学んだ則定さん。つきのわでも定期的にヨガ教室を行っている。
ここで、季節のめぐりを感じながら、暮らしにまつわるあれこれを楽しんでいきたいと考えている。
インタビューを終えて
鳥取で生活をして、今は日々の暮らしが大事だと気づいた則定さん。
自然と共存しながら、自分の居場所も大切にしていく。
自分の好きを素直に生きているからこそ、たどり着ける場所がきっとある。
そこにみんなの笑顔がある。
則定さんの話は、忘れてはいけない大切なことを思い出させてくれる。
これから紡がれる物語もきっと深くて大きな広がりを見せてくれることだろう。