鳥取市の賀露町は、お魚市場と船でにぎわう漁港エリアである。
日中の港には何艘も船が停泊している。
そんな海辺で、鳥取ではまだ数少ないゲストハウスを営んでいるのが、千石さんだ。
その名も「しゃん亭」。
インドのサンスクリット語で平和や穏やかという意味を持つ”シャンティ”と鳥取のしゃんしゃん祭の名前とを掛け合わせたユニークな名前だ。
旅が大好きという千石さんが、現在に至るまでとこれからについてお話を伺った。
流れに任せて大学へ進学
千石さんは鳥取市出身。
高校までは、地元で暮らしていた。
「特に何が好きということもなかったですね」
そんな千石さんへ大学への進学を勧めたのは、両親と高校の先生だった。
やりたい勉強や就きたい職業もなかったが、国語は得意だったことから、日本文学科へ進むこととなった。
「大学へ通う4年間は両親から与えられた猶予期間という感じで、時間をプレゼントされたんだと思って進学しました」
学生時代、一人になりたくて旅に出る
こうして、千石さんは鳥取を離れ、大学へ進学した。
友達もでき、嫌なこともなく大学生活を送っていたが、ある時、たくさんの人がいる中で漠然と「一人になりたい」と思ったという。
「人にちょっと疲れていて」
こうして、思い立ったのが一人旅だった。
19歳の大学生の頃である。
人がいないあえて過酷な土地に行って見ようと思い立ち、候補に選んだのは東北だった。
北の日本海へ行って、哀愁を感じる旅をしたかった。
ところが、調べてみると旅を予定していた春休みは、東北の多くの観光施設が冬期休業していた。
「雪が降っていたりして、靴が濡れるのも嫌だと思いました」
そこで、千石さんは思い切って真反対の沖縄へ目的地を変更した。
行き先は、石垣島を拠点とした八重山諸島巡りだ。
実際に行ってみると、思いのほか人との触れ合いが楽しかったという。
「人が嫌いだとか面倒だと思って一人旅に出たけれど、旅をしていると良い出会いや、人に良くしてもらうことが多くて素敵だったんです」
あちこちを観光して、旅そのものも楽しんだ千石さん。
あっという間に旅の魅力に取りつかれた。
20歳の夏には、初の海外旅で一人でタイへ飛んだ。
当時は若者の間でタイ旅行がブームだったという。
現地の言葉はわからなかったが、見るもの食べるもの全てが初めてで、一つ一つに感激した。
「とても楽しかったですね。10日間くらいの旅でしたが、観光地の遺跡を見たり、トレッキングをしたり、山岳民族を訪ねたり、人と会うこともすごく面白かったです」
現地ではわからないことも多い中、とりあえず行ってみて体験するということが好きになったという。
常に自分の判断で行動できることも面白かった。
学生時代は、休みのたびに東南アジアを中心に旅行をした。
大学卒業後、旅をしながらフリーター生活
在学中、千石さんは就職活動はしなかった。
「なぜかわからないんですけど、就職活動は私には関係ないと思っていたんですよね」
卒業後はフリーターになり、テレホンアポインターや工場などでアルバイトをして暮らした。
合間には大好きな旅に出かけた。
フリーター生活を6年続けた後、千石さんは鳥取へ帰ってきた。
しばらくのんびり過ごしていたが、関東の友人から沖縄での畑の期間労働を紹介され、行くことにした。
その矢先、旅立つ3日前に受け入れ先の都合で仕事がなくなってしまった。
飛行機のチケットもとって楽しみにしていた千石さんは、とりあえずそのまま沖縄へ行き、いつも滞在していたゲストハウスへ宿泊した。
畑の仕事をしたかった千石さんは、沖縄で仕事を探し始めた。
帰る予定間近に、宮古島のゴーヤ畑でのアルバイトが決定し、そこから5年に渡って、千石さんは期間労働をした。
宮古島でのアルバイトの期間は民宿に滞在した。
この時から、民宿やゲストハウスの仕事はゆるくて簡単にできそうというイメージを持っていたという。
「長期で半年くらい滞在というか住んでいたんですけど、気楽で楽しそうでいいなと感じていました」
南米旅行中に、ゲストハウス運営を思い立つ
ある時、千石さんは旅友達が南米旅行をしているブログ記事を読んだ。
「最初にウユニ塩湖を知ったんですけど、その後南米1周旅行をしている友人がいて、行きたいと思うようになったんです」
お金を貯めて、千石さんは南米へと向かった。
旅行中はゲストハウスに滞在した。
どこも安くて親切で居心地が良かったという。
「よくしてもらったから、これを誰かに返したいし、鳥取に帰ったら宿をやりたいと思いました」
当時、鳥取にはゲストハウスはなく、千石さんは自分がやらなくてはと強く思ったという。
鳥取に帰り、物件探しをスタート。
自然と導かれるように事が運び、4年がかりでゲストハウスをオープンさせた。
ゲストハウス「しゃん亭」をオープン
自分がゲストハウスを運営しているイメージは簡単だったという。
「宮古島でも泊まっていたし、南米旅行でも毎日泊まっていたので体感がありました。」
ゲストハウスを始めることは必然だったと感じてもいる。
「旅行するたびにアルバイトをやめて、帰ってきてまた探してという暮らしもクタクタでしたし、自分で仕事ができるというのはいいなと思いました」
物件はネットで見つけ、購入した。
ローンの関係もあり、10年は続けるという覚悟を持って、ゲストハウスをオープンさせた。
現在、8年目になるという。
バケーションレンタルのエアビー(Airbnb)サイトに登録し、すぐにフランスからのお客さんがやってきた。
オープン日から友人もお祝いに駆けつけ、幸先の良いにぎやかなスタートとなった。
宿泊者の7割が外国人だったが、現在は日本人も増えている。
これから
今までの人生を振り返ってみると、全ては繋がっていたと思えると千石さんは言う。
「起きてきた出来事が完璧だと感じます」
その時、うまくいかなかったことですら、今思えば完璧だったと思える。
「うまく行くときは、力を入れなくてもスーッと進んでいきます」
そんな千石さんは、これからも現在のような感じで決してがんばらないをモットーにゆったりとゲストハウスを続けていきたいとにこやかに語ってくれた。
「来た人がくつろいで癒される場であれるようにしたいです」
また、宿以外でも人を巻き込んで何かをしてみたいと言う。
「楽しい場所ににしていきたいですね」
人が嫌いだったという千石さんは、今、人と一緒に楽しむことを考えている。
インタビューを終えて
本当に旅が好きで、人が好きで、それが形となった仕事をされていると感じた。
ご本人が言うように、流れに身を任せながら、好きを追求した結果、自然と現在に至っている。
楽しくゲストハウスを運営されているのが、お話から伝わってきた。
ここに泊まる人たちは気楽に楽しく過ごせているに違いないと確信。
新しいことを始めたいと言っている千石さんの次なる流れに期待したい。