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鳥取市

【伊吹春香さん】イラストで心に栄養を与えたい

イラストレーター 伊吹春香(いぶき はるか)さん

どこかレトロでアンニュイな女の子たちのイラストを描く伊吹春香さん。

鳥取ではポスターや広告メディア、商品パッケージのイラストレーションで目にしている方も多いはず。

鳥取育ちで、子供の頃から絵を描くのが好きだったという伊吹さんがイラストレーターになるまでの物語をお楽しみください。

気がついたらイラストを描いていた

インタビューにあらわれた伊吹さんは、昭和のモダンガールのようなヘアスタイルで、まるで彼女が描く女の子そのままのような雰囲気。

「あまり意識していない頃から絵はずっと描いていました。」

幼稚園のころからイラストを描きはじめ、人に見せたいと思うようになったのは小学校に入ってから。2年生のときに、物語に絵をつけるという国語の授業があり、とても楽しくて「誰かに見せたい」と思ったという。

漫画が好きだったという伊吹さんは、真似をして描いたり、オリジナルの漫画を友人たちと描き合うようになった。中学校に入ると、それまで夢中だった少女漫画に疑問を感じるようになり、アンダーグラウンドな世界に惹かれていく。ゴシックとロリータを結びつけたファッションスタイルであるゴスロリを意識するなど、1番自由に絵を描いていた時期だという。

このときが今にいたる原点だったと彼女は振り返る。

描いた漫画は、漫画雑誌「りぼん」や「マーガレット」などに投稿するも反応がなかった。一方で、イラストは応募すると雑誌に掲載されることもあり、だんだんと漫画よりもイラストが自分に向いているのではないかと思い始める。

「自分は絵を描く人間なんだろうなという意識が小学校中学年ぐらいから芽生え始めました。」

中学校時代に描いた絵 。浅田はペンネーム

就職で挫折感を味わった後、やりたかったイラストレーションの道へ

イラストを描く仕事にかかわりたいという思いは、小学生のころからあったというが、イラストとは関係のない短大へ。

卒業後、地元の歯医者に就職するも、仕事が合わずに3ヶ月で退職。想像していた未来と違っていて、挫折した感覚を味わった。

それからは、お菓子屋でアルバイトを始めた。アルバイトをしながらも、頭のどこかにはいつも「絵を描かなければ」という思いがあった。

そんな折、母親の知人が建物の絵を描く人を探しているという話が舞い込む。建物を描いたことはなかったが、勢いで「描けます!」と飛び込んだ。広告代理店や不動産業を営むその会社でアルバイトとして絵を描くなかで、正社員にならないかと声をかけられ、イラスト担当として入社が決まった。そこではフォトショップやイラストレーターなどのデザインソフトも使用した。まさに、今の仕事につながるステップだった。

イラストレーションのコンペで準入選。自分の絵の可能性を感じ始める

仕事のかたわら、伊吹さんはイラスト業界では有名な雑誌のイラストレーションのコンペに応募。

審査員が決め手だった。漫画家の江口寿史氏の「僕がいいなって思った絵は、なぜか不思議と広がっていくんですよね。」というコメントを見て、もし自分が選ばれたらいいなという可能性にかけた。

結果は、見事準入選。このときに、「来た!」と自分のイラストに希望の光を感じた。20代半ばのことだった。ただ、このときは行動することもなく、数年が経った。

ある時、同じ準入選に選ばれていた人の特集が組まれた記事に出会う。悔しいという気持ちもあったが、それ以上に、「私もやればいけるんじゃないか」という可能性を感じたという。ちょうど、会社勤めが辛くなってきた時期でもあった。

会社を辞め、イラストレーターとしての道を志す

30歳を目前に、伊吹さんは会社を辞めた。まだイラストレーターとしての道は開けていなかったが、東京ビッグサイトで開催されるクリエーターズマーケットへの出展を理由にした。

出展では、自分のイラストのパンフレットを作り、会場で配った。この出展をきっかけに、傘などのグッズ制作や年賀状の素材としてのイラストの依頼などが入るようになる。

会社を辞めて数ヶ月たったころ、勤めていたころに縁のあった鳥取の広告代理店から連絡が入り、イラストを頼まれた。その時のことを、伊吹さんは「点が繋がってきた」と言う。「勤めていたころに巻いた種が芽吹き出した感じ」だったという。

自然と仕事が入ってくる流れが、ここから始まった。

最近では自動車メーカーのフィアット(FCAジャパン)からの依頼でイラストデザインの仕事も手がけた。

イラストレーターとしての自覚がないまま、仕事が入り始めて今にいたる現状に、「いまだにイラストレーターとしての肩書には若干の違和感があるんです」と恥ずかしそうに語る一方で、伊吹さんからはプロとしての揺るぎなさも感じられた。

会場で配ったパンフレット

死ぬまでに納得のいく人生になっていたらいい

そんな伊吹さんの活動を陰ながら支えてくれていたのが母親だった。根拠のない自信をつけてくれた。

伊吹さんの母親は、会社を辞めた30歳のころに他界した。

「一番の(私の)陽の目を見ることなく」と語る伊吹さんの表情は、しかし穏やかだ。「母が亡くなった時に、すごく不思議だったんですよね。人生は、漫画みたいにクライマックスがあるわけではなく、自然に終わるんだ」と感じたという。

そうであれば、「人生はやったもん勝ち」なのだから、深く考えずに悩まずに生きたらいいと思えた。仕事の依頼が来てもプレッシャーを感じて嫌だなと思うことがあったが、深刻に考えずにやってみようと思えるようになったという。

「死ぬまでに納得のいくようになれたらいいなと思います。」

夢を叶えることにこだわらずに、興味のあることをやり続けたらいい

夢を持っている人へは、「流れに身をまかせるのがいい。夢を叶えることにこだわらずに、興味のあることがあればやり続けたらいい」と伊吹さん。

自分の気持ちに嘘をつかずに、年齢も気にせずにやったらいい。

絵を通して、「心に栄養を与えたい」と語る伊吹さんのこれからが楽しみだ。

伊吹さんのグッズは、鳥取駅のシャミネの土産物屋や丸由百貨店5Fプレイヤーズマーケット内で販売されている。

IBUKIHARUKA 伊吹春香さんのホームページ

インタビューを終えて

次から次へ、イラストを通してやりたいことが溢れ出ているのがまず感じられた。

本当に絵を描くのが好きということが、ひしひしと伝わってくる。

好きだからこそ、続けられるし、がんばれる。

レトロかわいいだけではないセンスと、イラストに込められた奥深さも感じる。

これからどんなふうに伊吹さんのイラストが展開していくのか。

とても楽しみでならない。

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