中国地方最高峰の大山(だいせん)。
鳥取の人にとっては、富士山のような存在といっても過言ではない。
その名峰のふもとに、木工作家の山ノ内 芳彦さんの工房兼住まいである「ジュピタリアンヒル(木星人の丘)」がある。
木星人の丘とあるが、木星といっても木の星のことである。
田んぼを抜けた小高い丘に、カヤや竹などを使った建物が点在している。
まるで異世界に来たような雰囲気。
ここがジュピタリアンヒルである。
今回は、自然のなかで、木の生命力を伝える物づくりをしている山ノ内さんの物語です。
木との出会いが人生を決めた
何気ない出来事が人生を変えることがある。
山ノ内さんの場合もそうだった。ただ、そこにはその人が真に求めている大事なものがある気がする。
山ノ内さんは、琴浦町出身。
高校を卒業して、東京で15年ほどフリーターをしながら生活していた。「田舎で死にたくない」という気持ちで、地元を飛び出した。
20代半ば、死に物につかれて、カメラを片手に廃墟や石など命なきものを追いかけていたという。国内だけではなく、アメリカやヨーロッパなどの海外へも出かけた。
山ノ内さんのいう「死に物の世界」というのは、何物ともつながりを持たない孤独な世界のように感じた。
そんな山ノ内さんの転機は、木との出会いだった。
自身の病気や両親が高齢になったこともあり、30歳を過ぎた頃に鳥取へ帰郷。
琴浦の実家近くの山で、松林の下刈りへ出かけたときのこと。刈られた木の枝の木肌やカタチに魅かれて持ち帰り、その枝を使って可愛らしい動物たちを作った。
直感的に「木は生きているもの」だと感じたという。きっと、その可愛らしさのなかに山ノ内さんは木と自分との「つながり」を感じたのだ。
命ある木は、それまで死に焦点をあて孤独な地下の世界に生きていた山ノ内さんを、明るい地上世界へと導いた。
そしてある夜の入浴中、「木の持っているエネルギーや生命力を人に伝えることを仕事にしよう!と決意。
山ノ内さんは、名刺を作り県のイベントに出店するなど活動をスタートした。
そして独学で注文家具の制作を始め、身近な枝やツルを使った和紙の灯りを作り始めた
「木の仕事をすることによって自分は救われた」と山ノ内さんは当時を振り返る。
時に数百年にも及ぶ大木がみせるその姿に、ヒトの想像の及ばぬ命の世界を感じ、動くことの出来ないいのちが見せるその生きざまに触発されるという。
木と出会うまでは、自分であって自分ではなかった。今は地に根をはってどんどん伸びている、成長している感覚があるという。
山ノ内さんは木によって目覚めたのだ。自分とのつながりを感じ、同時に生きていることを実感した。
もったいないと感じて持ち帰った木との出会いは、人生を変えるまでの大きな出来事となった。
今現在の山ノ内さん自身からは、生き生きとした生命力のみが伝わってくる。
身近にある自然のものを生かす
現在の工房は、もともとは電気工事会社の工事部があった場所だ。数年で倒産した会社の建物は新しかったが周囲には何もなく閑散としていたという。まさに廃墟のようだった。
廃墟を彷徨っていた山ノ内さんにとってこの場所は「約束の地」だったかもしれない。
来たときは秋でススキが生えていたので、ススキを使って小屋を作った。「身近にある自然のもの生かす」という山ノ内さんのスタンスが表れている。「もったいない」と感じて、実家の松林から持ち帰った木のように。
そこにあるものでつくる。
70年代日本の高度成長期が生んだ公害などのひずみを痛感して、環境問題に意識をむけた20代初めの自分を思い出したのか、自然のなかで暮らしながら、山ノ内さんは木や石など自然素材で小さな小屋を作り始めた。周囲には竹もたくさんあり、最近では竹を使ったドームも作っている。素材の力をうまく組み合わせて作っていく。
山ノ内さんは流通している木材だけでなく、その辺にある枝や流木、庭木など誰も相手にしないような木も使う。「木ならなんでもいい」という。木は集めているのではなく、自然と集まってくる。人づてに声がかかり、そのたびにもらったり、伐りに行く。
まるで、そこにある木たちが山ノ内さんを求めているかのようだ。
最近も、知り合いの業者から連絡があり神社の折れたタブノキを引き取りに行った。山ノ内さんは、まず木の状態を見て、そのクセからヒントを得て形を作っていく。大木に接するとその命の年輪を感じ圧倒されるという。
製作中というタブノキのテーブルをぐるり見てまわると、角度によって見え方が変わってくる。横に寝かせているときにはわからなかった、渦を巻いた勢いのある形が縦にすると浮かび上がってきた。「すごいでしょ」と顔を輝かせながら山ノ内さんが説明してくれる。
初めから作る物のイメージがあるわけではなく、対峙した木の形、大きさ、材質を思い、どう生かそうかと削り出していく。最終的にどんなモノが出来る、出て来るのか分からない面白さがあるという。作品は「彫り出し物」ともいっている。
山ノ内さんはアーティストである。
木星人との出会い
ジュピタリアンヒル(木星人の丘)の由来にもなっている木星人は、三本足の腰掛けの形で現れる。
その姿かたちはとてもユニークで、自信たっぷりに立っているものもあれば、片足を伸ばしたお茶目なものも。庭木や木材として相手にされない木たちが木星人として蘇っている。
木の仕事を始めたあるとき、湯原にある旅館からスツール(イス)を4つ作ってほしいとの依頼があった。その4つ目に作ったのが足のある腰掛けだった。これが山ノ内さんと木星人との出会いである。
それまで、「木は生き物」だという直感はあったものの、それがどういうものかはわからなかったという山ノ内さん。
その正体が<木星人>だったのだ。
ちょうど、子供が生まれたときのことで、木星人の曲がった短足は人間の赤ちゃんの足のようだ。
以来、さまざまな木星人たちが生まれている。
最近では、木星人ならぬ木星獣まで登場している。「何が出てくるかわからない。その木次第だからね」と嬉しそうに話す山ノ内さん。木を見てその特徴をきっかけに彫り出していくと、今までになかったものが出てくる。出会いがある。
「木に作らされている」
山ノ内さんの生み出すものは、とてもユニークで本当に生きているようである。木星人はいまにも歩き出しそうであるし、ゆれるベンチやゆったりとしたイスにも性格がある。自由でありながら、座る人に寄り添ってくれる。木がなりたいような姿になっていながら、人にも優しい。
これは、木と話ができる山ノ内さんだからこそできる特別な技だ。
ツリーハウスは木と人とが一体化する空間
山ノ内さんは、木単体を形にするだけでなく、ツリーハウスも手掛けている。生きた空間づくりである。
ツリーハウスは近年人気があり、各地でも作られているのを目にする。生きた樹木につくる人と木の共生空間である。
「生きた木をどう生かすか。人が空間として楽しめるか」
山ノ内さんはその木に合ったやり方で、木と人とが一体化できるような空間を目指している。
最近は、尾道市でツリーハウスを作った。小屋のなかに数本の枝が貫通しており、風で枝が揺れると動かない建物空間のなかで、その枝だけがユラユラと揺れて動く。
「不思議な感じだよね」そう話す山ノ内さんの目は子供のように無邪気で楽しそうだ。
話を聞いているだけでも、その場にいるように感じてこちらまで楽しくなる。
山ノ内さんが作るツリーハウスは県外でも人気になっている。
これから
今後は、各地の木に会いに行く木星ツアーをしたいという。出かけた先で出会った木で、何かを作りながら旅をする。一体どんな木星人たちが形となって遊びに来てくれるのだろう。想像しただけでも楽しそうである。
死の世界をみつめてきた山ノ内さんは、命ある木と出会い、自身も命に目覚めた。今では木だけではなく、多くの人たちとのつながりを持ち豊かな生命ある世界に生きている。
その姿は出会った人たちに深い感銘を与えることだろう。
さて、ジュピタリアンヒルを訪ねるときには、山ノ内さんへ一報されてください。
インタビューを終えて
はじめて、ジュピタリアンヒルを訪れたときの衝撃は忘れられない。
未知の世界に来たような感覚。
そして、キラキラと星のように瞬く山ノ内さんの瞳は、少年のようでもあり、悟った仙人のようでもあり。
木と一体化してしまった人なのか。
いや、精霊か。
とにかく、出会う人にいかようにも衝撃を与える人だと思う。
木がこれほどまでに表情豊かなものだったとは。
山ノ内さんは、木を生かし、木に活かされている正真正銘の木人(キビト)だ。