鳥取の東部、流しびなの里として知られる用瀬町(もちがせちょう)。
冬には積雪もある山間地域だ。
ここに工房を構える彫刻家の藤原勇輝さんを訪ねた。
元きのこ栽培工場をリノベーションした建物に入ると、工具が並ぶ作業場が広がっている。
藤原さんはブランド「バニーリンゴ」を立ち上げ、銀細工を作るほか、立体作品作りといった芸術・美術活動を行っている。
藤原さんの現在とこれまでの経緯についてお話を伺った。
感覚的に美術造形が面白いと思った
藤原さんは鳥取市に生まれた。
物作りをしたいと思ったのは、高校の時だった。
科目選択の時に、音楽、書道、美術といった選択肢の中で消去法で選んだのが美術だった。
美術の授業では、絵画やデザイン、彫刻など色々やってみた中で彫刻が一番感覚的に面白いと感じた。
大学進学では、広島の美術大学へ進んだ。
専攻は、芸術彫刻だ。
彫刻を専攻する中で、藤原さんが媒体として選んだのは「金属」。
「感覚的に一番合いました」
学生時代は、広島の洋服店に頼まれて、彫金で昆虫を作って卸していた。
これがヒットし、作っては売れるというサイクルが生まれていた。
ここが、藤原さんの銀細工づくりの原点となる。
大作づくりに取り組む
大学卒業後、藤原さんは広島の鉄工所に勤めながら彫刻作品づくりをした。
「プラモデルを組み立てるみたいで面白かったですね。大学で学んだ技術も活かせましたし、社長さんが作品作りを理解してくれてお世話になりました」
写真の、川に建てられた作品は、川という公有地にシンボリックな鉄塔を建てることでその存在のあり方を視覚化したものだ。
この鉄塔を建てているときに、近所の方に何をしているのかととがめられた。
鉄塔を建てるには許可を取っていたが、それを知らない人からするとしてはいけないこと、として捉えられる。
この出来事は、作品制作の成果だった。
展覧会では、会社が全面バックアップをしてくれたという。
3年くらい勤めた後、環境の良さはあったがアイデアに行き詰まり、藤原さんはリセットをするため鳥取へ戻ることにした。
2010年のことである。
山陰と山陽のギャップから作品テーマを発想する
久しぶりに鳥取に帰った藤原さんは、日本海と瀬戸内海の違いを実感した。
「まず、気候が違いますよね。山陰は3、4日に1回は雨が降るイメージがあって、広島へ行くと雨が降らない日が続きます」
気候から来る陰と陽のギャップは、それぞれの文化にも影響を与えている可能性があることを体感もした。
「出雲や境港といった山陰は、妖怪が出てきたりお化けがキャラクターとして出てきます。一方で山陽は妖怪のイメージはなかなかわきません」
藤原さんは山陰のこの”陰湿”な感じに着目した。
そして、陰をテーマにしたブランド”バニーリンゴ”を立ち上げる。
因幡の白兎の伝説をもとに、ワニに嘘をついて身の皮を剥ぎ取られる兎が助けられて改心するというストーリーと自身の作品テーマを重ねた。
看板商品であるウサギリンゴのアイテムは、リンゴを切って皮を剥いてできるウサギの形だ。
また、リンゴにはニュートンの法則のきっかけを作ったり、ビートルズが設立したアップル・レコード社、パソコンメーカーのアップル社など何かが始まるきっかけとなっている意味も含められている。
身から出たさびをテーマに活動
白兎の伝説の兎が悪いことをしてその報いを受けるという、まさに”身から出たさび”に藤原さんは注目した。
藤原さんにとって、”身から出たさび”は、必ずしも悪い意味ではない。
「自然素材から出るさびを人間は汚いと思ったり、朽ちていくと思うから、ペンキを塗ったり修繕しますけれど、さびるのは自然なことですよね。例えば、戦争とかも良くないですけど、本能的な”戦う”という性質は人の中に多分あって、それをダメだよとトレーニングされることによって成熟していく。」
身から出たさびを、藤原さんは「自然なこと」だと言う。
「そこを捉え直したい」
”身から出たさび”は、藤原さんの全ての芸術作品の根底になっている。
作品では、実際に金属から出たさびを使った制作をしている。
2016年、この”身から出たさび”をテーマにプロジェクト「ふじわら 身から出たさび科」を立ち上げた。
病院でお医者さんに悪いところ(さび)を診てもらい、アート作品にすることで治してもらうように見立てたユニークなプロジェクト名になっている。
チラシやホームページで、個人の”身からでたさび”となるエピソードを募集し、テキスト化して、金属のさびを使って作品を作るという内容だ。
出来上がった作品は本人に渡している。
さびを吐き出すことで、癒やされている人も多いという。
作品というビジュアルがあることで、もっと自分が良くなるような戒めにしてもらえたらという考えもある。
パチンコ玉を使った作品では、経済やお金の象徴としてリアルなパチンコ玉という素材を選び、資本主義社会をピラミッドに見立てた風刺をしている。
資本主義の世界には何か法則があるというところの表現を試みた。
藤原さんはこうした芸術表現をすることで、アートの力がどこまであるのか、人に変化をもたらすことができるのかを実験している。
済州島と日本をつなぐプロジェクトをスタート
2016年にもう一つ着想したプロジェクトがある。
韓国の済州島と日本をつなぐアートの取り組みだ。
済州島で起きた同じ民族同士の虐殺事件があり、これをきっかけに日本に逃れてきた人たちがおり、現在も大阪や九州に住んでいることを知り、藤原さんは日本で何かプロジェクトができないかと考えた。
在日コリアンの方などに済州島への思いをつづった手紙を書いてもらい、瓶に詰めて船から日本の海に流すという一連のアートプロジェクトをスタート。
この手紙を偶然受け取った人が、済州島へ手紙を送り、間接的に島に届くという一連の流れだ。
「済州島に直接届くこともあるだろうし、いろんな地域や国に漂着してそこから届くこともありますね」
コンセプトとして大事なことは、日本から瓶を流すことで、済州島から逃れてきた人たちの思いを送り返すような行き来の意味があるということだ。
3年に渡っての取り組みを考えており、2024年は1回目のプレゼンテーションが大阪の生野で行われた。
今、藤原さんが最も力を入れているアートプロジェクトだ。
これから
一連のアート活動を通して、「感動してもらいたい」と藤原さんは言う。
作品を通して、何かを感じてもらいたい。
例えば、それが怒りであっても構わない。
そして、受け取った人たちがどうなっていくのか変化を見てみたいという。
世の中に向けて、自分が感じたことを表現し、発表していくことで新しい価値を提案していく。
銀細工の分野では、お客様の依頼でへその緒の型を忠実にとってアクセサリーにした。
へその緒を保管するのは、日本独特の文化である。
家族の絆にもなることだと、今後も依頼があればやっていきたいと語ってくれた。
藤原さんからアーティストとしての情熱が伺えた。
インタビューを終えて
お話を伺いながら、真摯な眼差しが印象的だった。
ご自身のプロジェクトに対しての誠実さと真剣さは、きっと心に響く作品へと昇華されていく。
一つ一つのアート作品へ込められた思いをぜひ多くの人に受け取ってほしいと思う。
済州島のプロジェクトで使われる船は自前だというからすごい。
知人から手に入れたものだそうで、趣味も兼ねているとのこと。
新たな展開に期待!