鳥取市の飲み屋街といえば、弥生町と末広温泉町。
夜ともなれば、昼間は静かだった店舗のあちこちに灯りがともり、賑やかになる。
この飲み屋街の一角に、「焼鳥ぜん」がある。
自家製肉味噌は評判で、焼き鳥だけでなく、できるだけ地元産の食材にこだわったメニューで人気だ。
そんな焼き鳥屋のマスターには、シンガーソングライターという顔もある。
今回、「焼鳥ぜん」のマスター、Zenさんにお話を伺った。
料理をすることも歌うこともアーティストとしてやっているという、Zenさんの人生の物語をお読みください。
両親の影響もあり、子供のころから音楽が大好き
鳥取市出身のZenさんは、音楽好きな両親のもとで育った。
子守唄は、母親がギターを弾きながら歌ってくれたという。
父親はドラムをたたくなど、子供のころから音楽が身近にあり、好きだった。
小学生のころは、授業中につい鼻歌を歌う癖があり、よく注意されていたと笑いながら話すZenさん。
クラシックが大好きで家でよく聞いており、曲を聞いただけでモーツァルトやシューベルトなどどの作曲家によるものかがわかった。
そのうちに、テレビでバンドグループのチェッカーズが流行ると歌手の世界にも憧れ、家ではよく歌っていたという。
学校では勉強はあまり得意ではなかったが、歌は褒められたことで自信につながっていった。
中学に入ると、友人たちの影響でロック系の曲を聞くようになる。
時はバンドブームで、ZenさんはBOOWY(ボウイ)やBUCK-TICK(バクチク)に惹かれた。
X JAPAN(エックスジャパン)、LUNA SEA(ルナシー)といったビジュアル系ロックバンドにも影響を受け、中学3年には、鳥取でライブが行われたD`ERLANGER(デランジェ)のライブを聞きに行った。
ボーカルに会いに行き、歌うことが好きだというと「頑張って」と背中を押してもらえた。
すっかりバンドのとりこになったZenさんは、近所の倉庫にドラムなどのバンドセットを持ち込み、友人たちと集まって演奏会などをした。
高校でも友人とバンドを組み、音楽活動をしていたが、学校では孤立し、自分の居場所を見つけられず1年で高校を退学。
高校を辞めたあとは、飲食店でアルバイトをした。
アルバイト先でZenさんは、いろいろな人と知り合った。
なかでも、のど自慢チャンピオンの歌い手との出会いは大きかった。
「東京時代の話や歌の話を聞いて、自分も挑戦したくなりました。外に出て歌い手になりたいと思ったんです」
バンドグループに入るため大阪へ
歌い手になりたいという夢を胸にアルバイトを続けていたZenさんのもとに、転機が訪れた。
ある日、大阪のバンドで活躍していた鳥取出身のメンバーがZenさんを尋ねてバイト先へやって来た。
聞くと、1ヶ月後に大阪でのライブが決まっているのだが、ボーカルが急きょ抜けたためボーカルを募集しているという。
鳥取に探しに来たところ、Zenさんの名前が上がったので尋ねてきたというのだ。
Zenさんはそのバンドがどういうバンドかわからなかったが、歌い手になりたいという夢が叶うかもしれないとボーカルに志願し、大阪へ行くことを決めた。
思い切って出た大阪だったが、予定していたバンドのライブは、主催者とライブのメンバーがもめたことで中止となった。
アルバイトをしていたものの、貯金はほぼなく、紆余曲折の末、大阪に出た最初のころは知人の家にお世話になりながらZenさんはバンド活動をした。
当初の話がなくなったあと、Zenさんはバンドのメンバーを探して、新たに結成した仲間で活動を続けた。
歌を辞め、居酒屋に勤める
事務所にも所属したが、ほとんどバンド活動はできず、事務所の仕事をする日々だった。
波乱万丈を生きていたなか、Zenさんにとってショックな出来事が起きる。
バンドのメンバーの1人が自ら命を絶ったのだ。
メンバーの相談に乗れなかったことを悔いたZenさんは、大好きだった歌を辞めた。
音楽活動を離れ、大阪でしばらく仕事をしていたZenさんだったが、体調不良を機に鳥取へ戻ってきた。
鳥取へ戻って体調が回復すると、第2の人生を歩むべく、手に職をつけるために居酒屋で働き始めた。
勤めながら料理を勉強し、車の免許も取った。
「高校を卒業して、普通の人が社会人としてしていくだろうことをこの時期にしました」
焼鳥ぜんをオープン
居酒屋で5年間勤めたあと、Zenさんは「焼鳥ぜん」をオープンした。
2010年6月のことである。
焼き鳥屋にしたのは、自身が焼き鳥が好きということと、焼き鳥屋での良い思い出があったからだ。
また、音楽が好きなZenさんにとって、音楽を流せる場でもある飲食店は魅力的だった。
「何らかの形で、音楽には関わっていたかったんです」
お店がスタートすると、人が集うことが何よりうれしかったという。
「焼き鳥を焼いて、みんなを笑顔にしたいです」
焼き鳥屋をオープンしてから10年以上が経つが、一度も嫌だったことはないという。
お店をすることが楽しいという。
先輩の来店がきっかけで再び歌い始める
歌を自ら封じていたZenさんだったが、中学校の先輩であり、プロのシンガーソングライターのhacto(ハクト)さんとの再会によって歌う機会が訪れた。
2016年に、hactoさんが打ち上げで焼鳥ぜんに来たことで再会し、お店でのライブが決定した。
このとき、hactoさんはZenさんがかつてはバンドで歌っていたことを知らなかったが、ライブ中にZenさんがhactoさんのカバー曲を歌うと大きく盛り上がった。
今さらプロになるつもりもなかったが、この時、歌うことはやはり楽しいと感じたZenさんは、趣味として歌い始めることにしたのだ。
地元で開催されたNHK番組の”うた自慢コンテスト”にも出場した。
すると、審査員の森昌子氏に「声がいい」と絶賛される。
これを機に鳥取のお城まつりに呼ばれて歌うなど、次第に活動の場が増えていった。
オリジナル曲がCDになる
いろいろな場にゲスト出演していくも、歌うときはいつもカラオケ音源でカバー曲だった。
自分で弾き語りができるようにと、Zenさんは独学でギターを始めた。
そして出来上がった曲が、「ヴァンパイア」だ。
曲のなかでは、”孤独から来る切なさ”を歌っている。
血を吸うことでの凶暴なイメージが持たれているヴァンパイアだが、人間に恋をしても一緒になれない切なさが歌詞になっている。
切なさに美しさを感じるというZenさんの感性が、そのまま歌になっている。
曲のお披露目には、先輩であるhactoさんがアシストをしてくれている。
そうしたなか、埼玉のラジオ番組でZenさんの曲を流したいというオファーが届く。
音源を送ることになり、せっかくなら形にしたいと地元の協力でCD化が実現した。
現在、Zenさんの歌を聞いて元気になったという方など、歌を通してのご縁が広がっているという。
紆余曲折はあったが、かつての「歌い手になりたい」という夢が叶ったのだ。
これから
今後は、”故郷”をテーマに活動していきたいと語る。
2024年、鳥取で開催されるねんりんピックのテーマソングをhactoさんが歌うのを一緒に盛り上げて行くつもりだ。
「やることなすことを受け入れてもらえなかった鳥取は嫌いだったんですが、鳥取で焼き鳥を焼いて地元の人も県外の人も楽しんでもらえたら嬉しいと思っています」
地元への貢献をしていきたいという。
焼き鳥屋では、風情を大事にしたアレンジ料理を楽しんでもらい、食べて驚いて笑顔になってもらいたい。
歌の活動では、焼き鳥では表現できない部分を伝えていきたいと意欲的だ。
「鳥取を全国に発信したいです」
鳥取のいいところは、ココだと言えるようにしたい。
インタビューを終えて
インタビューがスタートすると、怒涛のように話し始めたZenさん。
溢れんばかりの想いを感じた。
それでも取材後に、伝えたいことの半分も話せなかったとのコメント。
波乱万丈な人生のなかには、感じたことや得たことが数え切れないほどあることが伺えた。
インタビューでのストーリーはまだほんの一部。
ぜひ、続きは「焼鳥ぜん」でマスターから直々に聞いてほしい。
きっと心の琴線に響くエピソードを聞けることでしょう。
美味しさと歌をこれからもぜひ伝え続けて欲しい!