鳥取の中部に位置する東伯郡琴浦町。
後醍醐天皇ゆかりの船上山など歴史にちなむ名所が多い。
この地に持続可能な暮らしを求めて約30年前に関西から移住した中村さん。
現在は、Atelier(アトリエ)虹の手を運営し、ローフードを中心とした週末カフェ、自然素材を使った染めと織りをされている。
ローフードとは、48℃以下で調理した料理のこと。酵素が生きているので消化吸収によいと言われている。
今回は、中村さんに鳥取への移住した経緯から現在にいたるまでのお話を伺った。
10ヶ月にわたるインドとネパール旅でカルチャーショック
中村さんの初海外旅行は20歳のとき、イタリアのフィレンツェだった。
知人を訪ねての旅で、暮らしの中心に精神文化があることに親しみを感じたという。
それ以上にカルチャーショックを受けたのが、次に訪れた10ヶ月にわたるインドとネパール旅だった。
人々が目に見えないものへの感謝を感じて暮らしている姿に衝撃を受けたのだ。
日々の暮らしはうまく循環していた。
当時は石油製品はなく、土に還るもので日常で使うものが出来上がっていた。
この光景を「美しい」と感じた中村さん。
暮らしそのものが祈りのようだったという。
建物を立てる道具ひとつとっても、機械を使わず人が手を動かして作業をするなどその光景にも美しさを感じたという。
インドで体験したような暮らしがしたい!鳥取へ
日本に帰国後、長男を身ごもった中村さん。
当時はチェルノブイリ原発事故が起きたときでもあり、中村さんはこれからの安全で安心な暮らしについて深く考えた。
「インドで見た暮らしがしたい」
そこでインド・ネパール旅で見た光景が蘇ってきた。
子供が大きくなる前に地方に移住して循環型の暮らしをしたいと決め、中村さんは人づてで移住先を探した。
高知や和歌山をまわったが決まらず、知人からのご縁で鳥取へ。
あえて何もないところに住もうと倉吉市の古い民家に移り住んだ。
世の中は便利な暮らしを求める流れのなか、あえてその流れに逆らうように昔ながらの暮らしをしようとする中村さん一家は周囲からは理解されずにいた。
移住当初はガスもなく、薪で煮炊き炊事をする暮らし。
天然酵母パンを焼いて販売するなどしたが、珍しがられるばかりで売上げにはなかなかつながらなかった。
消化しきれない気持ちはあったが、中村さんは自分が描く世界が絶対良いというわけではないと気づき、徐々に周囲とのバランスを取っていった。
子育て中心の生活から自分がやりたいことをする暮らしへ
変わらざるをえない状況のなか、中村さんは外に働きに出た。
生活の中心は子育て。
子どもたちを育てるためにわりきって働いた。
いろいろな仕事をしたなかでも長かったのが介護の仕事だ。
もともと人間が好きということもあり、熱意をもって仕事に取り組めたという。
一区切りついたところで、自立して好きなことをしている人達との出会いがあった。
自分が本当にやりたいことをしていきたいと思った中村さん。
子育ても落ち着いてきたところで、思い切って仕事をやめた。
子供の自立とともに琴浦町へ住まいを変え、友人たちの力を借りてリフォームを進め、アトリエを始めた。
今からちょうど10年前のことである。
やりたいことをする
京都に育った中村さん。
子供のころは、クリスチャンであった両親に連れられて教会へ通っていた。
教会へ向かう途中に通る寺町通りに並ぶ工芸品にとても興味を持った。
美大に入って日本画を専攻するなど、中村さんは工芸や芸術文化には親しんでいた。
鳥取へ来て仕事をやめたあと、智頭町で自然布(麻)との出会いがあり、素材に興味があったこともあり織ってみたいと言う気持ちから織りを学んだ。
植物染めも再開した。
織りや染めは時間も手間もかかることから仕事にするには大変というのがあり、子供が生まれたときから意識して取り組んできた食をメインの仕事にすることにした。
昔からの友人にローフードの料理を習い、アトリエでローフードメニューの提供を始めた。
ローフードは中村さん自身が自分にぴったりの食事だと感じている料理だ。
子供のころから果物が好きで果物さえ食べられたらそれでよかったという。
火を通さずに果物や生の野菜をふんだんに使うローフードは中村さんが求めていた食事だった。
内なるものを輝かせる
最近では、先方からの依頼でライブやイベントも開催している。
人が集まり、空間を分かち合うことで心地よさを感じられるし、自分の喜びにもなっているという。
食にしても、目に見えない自分の思いを食を通して表現している感覚だ。
目に見えないものと目に見える物の両方を大切にするのが、この地球に暮らしている意味なのではないかと中村さんは言う。
「体を整えてくれる音楽の力やマッサージなどの力も借りて、体が元気になってそれぞれが自分の内側にあるものを表現して輝かせていったら平和になっていくんじゃないかな」
紆余曲折をへながらも、いつかインド・ネパール旅で見たような世界が形は違えど、中村さんの周りに広がりつつあるようだ。
これから
意図せず、毎月のようにライブが続いているが、今は流れに任せているという。
これからどうなっていくかはわからないけれど、人のケアをしていきたいのと、時間が出来たら絵を描きたいと中村さんは話してくれた。
インタビューを終えて
ご自分で糸を染めて織ったという美しいワンピースを身につけてあらわれた中村さん。
とても自然体で笑顔がやさしいというのが最初の印象だ。
思うようでないこともあるけれど、そのつど大切なことにフォーカスして生きていきたいと語ってくれた中村さん。
そのやさしい印象とは裏腹に、心の奥には強い信念を持って日々を営まれている。
ささやかだけれど丁寧に紡ぐ日々の連続が大きな流れを生む。
きっと素敵な一枚の美しい布のように人生は織られていくのだろう。
中村さんをお話しながら、美しい時間を感じられたひとときだった。